デールの経験の円錐から出力の円錐へ~語学マスターへのヒント3
前回の「語学学習のヒント2」では城西国際大学 多田 洋子 准教授の「日本人が好む英語方略-高橋五郎著「最新英語教育法」を読む-」というテーマで、効果的な英語学習方略をまとめてみました。
さて、今回の第3回では、【語学buy恩人】のご訪問者であり、時々にご意見をいただく”あいぼう様”よりの進言をご紹介するとともに、「デールの経験の円錐」から学習スタイルのお話へと繋いでいきたいと思います。
”あいぼう様”は外資系の企業にお勤めのこともあり、多種多様な発音にやや苦労されたようですが、どんなに忙しくても、酒井一郎先生のSimple Englishを中心として速聴だけは怠らず精進されておられるため、どんどんスキルアップされておられるようです。
そして、今回は左の書籍を読まれた感想をお送りいただきました。
いつも、ご丁寧な進言ありがとうございます。
「海外経験ゼロでも英語ができる人はどのように勉強したのか?」
と題する書籍です。
一読しましたが、精神論、心構えを説く人の内容や大前研一氏のように読んでいて安心出来る内容(説得力のある内容)、そして役立つツール、サイトの紹介などです。
その中で、”あいぼう様”が確認されたこと、自信を深められたことは下記の点だったとのことでした。
- 中学生~高校一年生までの例文を80~130回音読する
(Simple Englishと全く同じ意見) - 文法に拘らず、積極的に言葉を発する
(イタリア人が国際会議で平気で“We is~”と言っている例題(実話)にはウケマシタ) - TOEICは本当に必要な人だけが受験すれば良い
(やはり高得点と話せることは一致せず) - 動詞を中心とした勉強(例文を繰り返し音読する)の重要性
全ての項目は、【語学buy恩人】でも重要な学習方略として述べてきたことと一致を見ますね。
セオリーに適った学習スタイルであることを確認され、自信を深めたと仰っておられました。
確かに、上記の項目を一般化・共通化したところに効果の出る学びがあることは間違いありません。
きちんとスピーキングも聞き取りも進んでおられるのに、何故そんな本を読まれるのかと思われるかもしれませんが、自分の学習スタイルを再確認したり、評価したり、反問したりする姿勢こそが学習をより高めていく上ではとても必要なことなんですね。
自分の学習スタイルが妥当かどうか?、学ぶとはどういうことなのか?といったような評価・検証を折々に行うことが出来ることが、学習における最上流にあるべき重要な能力の一つなんですね。
その評価・検証を行わないがため、あまり妥当とも思えない平面上をただ堂々巡りしているだけの勉強に止まってしまうことは、どの分野の学習でもよく見られる共通風景と言えるでしょう。
さて、今回は、上記2番目の「積極的に言葉を発する」ということにフォーカスを当てて、少し思い当たるところを述べていきたいと思います。
その前に、1番目の「中学生レベルの英語で・・・」という文言は、よく耳にするフレーズですよね。
コミュニケーション英語は、受験英語のように難解な文章を論理的に読解していく方向性とは違い、平易な文章をルールを理解しながら何度も出力(音読)することにより、感覚的に反射的に反応するレベルまで昇華していくという方向性を内在したキャッチ・フレーズと言えるでしょう。
英会話の上達では、ここを意識的に押さえておかないと第一歩から躓いてしまうのは確かだと思います。
酒井一郎先生のSimple Englishと同じ思想に立つものと言えますが、下記に挙げる書籍をはじめとして「中学英語」「音読」を基幹とする書籍には、確かに高評価のものが結構目につくようです。
いよいよ、今回の本題である「文法に拘らず、積極的に言葉を発する」というテーマなんですが、おそらく、なかなかこれが出来ない、あるいは、する機会がないということで悶々としておられる方は多いのではないでしょうか?
”あいぼう様”のように、外資系の企業に勤めておられれば確かに、そのチャンスは自ずと多くなるでしょうが、一般の方は、なかなか機会に恵まれないのは確かでしょう。
ところがどっこい、この要素は、上達するには最も効果的な学習形式なんですね。
英会話に限らず、全ての学びを最上級にするのは「経験する」という要素なんですね。
後述しますが、実は、このことは学術的にもその根拠が与えられています。
「イタリア人が国際会議で平気で“We is~”」のくだりは、実話としても極端な例かもしれませんが、「経験する」という学習手法の重要性を強調する事例として、とても分かりやすい例と言えますね。
無邪気に使ってしまった間違い英語に嘲笑を買うことで、もう少し救いのある言い方をすると、間違いを指摘、訂正してもらうことで、“We is~”という自分の中にあった無意識的誤認概念が初めて客観的に観察されるということになります。
自伝的記憶・エピソード記憶という側面も見逃せませんが、ともかくも、この経験によって、正しい使い方が正しいルールとセットで覚え込まれます。
ですから、僕が「失敗を恐れない心」とよく書いているのも、成長するためには、「経験してナンボ」の世界に早く入ってもらわなければならないことを知っているからであり、これを必須の意識化作業として伝えなければならないという思いがあるからなんです。
「失敗を恐れるな!」
そんな風に自分自身が腹を括らないと、なかなか翔べない。
それが、現実だということなんですね。
かと言って、「人前で恥をかく経験によって学びなさい」ということを言いたいわけではありません。
少なくとも、それで飯を食っているのであれば、人前で恥をかくのは決して褒められたことではないでしょう。
たとえ知らないことがあったとしても、即座に陰で勉強してプロに徹するべきだと僕は思います。
しかし、学習者である内は違います。
知らなくて当たり前であり、未熟で当たり前なんです。
語学などでは、僕たちはその語学圏で生まれ育ったわけではないですから、話せなくて当たり前です。
語学の場合は、それが一生の特権ですらあります。
在日外国人の方の日本語が拙くても、僕たちの誰が非難するでしょうか?
外人さんだから下手で当たり前と思いますよね。
■Dale’s Cone of Experience(デールの経験の円錐)
さて、「経験する」という学習方法の有効性には根拠があると先ほど述べました。
いろいろ調べていると、この「経験する」ことの大切さは、文献や論文でも多く見かけられます。
中でも頻繁に引用されているのは、「Dale’s Cone of Experience」(デールの経験の円錐)です。
この「Dale’s Cone of Experience」は、オハイオ州立大学教育学教授Edgar Daleの1946年論文、『Audio-Visual method in teaching』(学習指導における聴視覚的方法)の中で発表されたものです。
種々の視聴覚メディアが、学習構造の中に「直接的・目的的体験」(Direct Purposeful Experience)を最底辺とする抽象度に応じた視聴覚対象及び媒体の円錐としてイメージ化されており、その序列は、抽象度の高い(円錐の頂点側)順に下記のように階層化されています。
- Verbal Symbols
- Visual Symbols
- Recording Radio/Still Pictures
- Motion Pictures
- Educational Television(改訂で追加)
- Exhibits
- Study Trips
- Demonstrations
- Dramatized Experience
- Contrived Experience
- Direct Purposeful Experience
従って、この円錐テーブルだけを見れば、プラグマティズム的な色彩が強いという印象は拭えません。
それが、ある意味、e-learningなど様々な学習教材の理論的根拠として引用される機会が多いということに繋がっているのでしょう。
■Dale’s Cone of Experienceの謎
ところが、この「Dale’s Cone of Experience(デールの経験の円錐)」は、その名称通り、あるいは、「Dale’s Cone of Learning」と名称を変えて、項目も学習ストラテジー的言語に置換され、さらには、各項目に対する記憶定着率としての数値が付与された形で、Dale論文からの出展としてネット上に広く流布していることが分かります。
ケース1:例えば、分かりやすいケースでは、
- What they read:10%
- What they hear:20%
- What they see:30%
- What they see and hear:50%
- What they say and write:70%
- What they do:90%
ケース2:少しマニアックなケースでは、
- Read text:10%
- Listen to lecture:20%
- Watch still or moving picture:30%
- View exhibits & Watch demonstration:50%
- Participate in a hands-on workshop:70%
- Simulate Model or Experience:90%
ケース3:おやっ?と思うバリエーションでは、
- Lecture:5%
- Reading:10%
- Audio-Visual:20%
- Demonstration:30%
- Discussion Group:50%
- Practice by doing:70%
- Teach other/Immediate Use:90%
それぞれは、「Verbal Symbols」や「Visual Symbols」が「read」「hear」「lecture」などの学習ストラテジー的言語に置換されているのが特徴で、全てが置換されたものから、一部は原典の項目を残存させながら融合したものまで、原典とはかなり趣が変わっていることが分かります。
これらのそれぞれ相互は、よく似てはいるのですが、微妙に、いや大きく異なる部分さえあります。
僕が、よく、「授業を聞くだけでは何の勉強にもなっていない」と言っていることに対応している項目として、ケース1では「hear」 = 「lecture」と考えると20%の定着であり、ケース2では、そのまま「Listen to lecture」として20%の定着、ケース3では「lecture」として、なんと5%の定着というような結果になります。
僕は、ケース3のこの値が、あまりにも低いのではないかと疑問に感じたので、いろいろと調べていく内に、実に微妙に相違する多種多様のDale円錐が乱立していることが分かったわけです。
その数値に関しても、Dale自身は何ら提示していないですから、何らかの経緯で、学習形式の相違による効果の差を表現するテーブルとして項目が置換され、数値が付与され、Dale円錐の名で勝手に一人歩きしているということのようです。
様々な分野に応じた言葉を当てはめられながら様々なバリエーションで出没しているようですから、日本の文献やグループ資料などでも一般学習用にアレンジされたものが「Dale’s Cone of Experience」として引用されているケースも多いようです。
このあたりの事情を、”Dale’s Cone of Learning figures debunked”と題して書いているサイトがありましたので、興味のある方はご参考ください。
Dale’s Cone of Learning figures debunked →
People remember 10%, 20%…Oh Really? →
ともかくも、学習形式と知識の定着割合の相関を具体的数値でイメージ化した円錐が、Daleの円錐として多く引用されていました。
そして、それらは、数値だけでなく項目にも微妙なバラツキがあり、学術分野によっても微妙に編集されているような印象を受けます。
■偽Dale’s Cone of Experienceのソース?
では、根拠にならないじゃないかということになるのですが、幸いなことに学習形式と知識の定着割合の相関を調査したデータが見つかりました。
一箇所の数値を除いては、一人歩きをしている偽「Dale’s Cone」の元ではないかと思えるデータでした。
おそらく、このデータが 「Dale’s Cone of Experience」と結合して、名称は「Dale’s Cone of Experience」のまま、あるいは「Dale’s Cone of Learning」として一人歩きを始めたのではないかと推測したりします。
根拠となるデータは、テキサス大学オースティン校化学工学名誉教授James Stice氏の1987年の論文【Using Kolb’s Learning Cycle To Improve Student Learning. Engineering Education】(工学教育における学習改善に向けたKolbの学習サイクル利用)の中にありました。
ただ、残念なことに、この論文自体は、現在オープンでは公開されていません。
しかし、本論文を引用した下記の2つの論文によって、そのデータを知ることができます。
中でも外国語修得を目指すあなたには、最初に挙げた論文は一読の価値があると思います。
【Learning and Teaching Styles In Foreign and Second Language Education】
(外国語及び第二外国語における学習及び指導スタイル)と題した、ノースカロライナ州立大学のRichard M Felder教授とSao Paulo大学のEunice R. Henriques教授の論文。
【LEARNING AND TEACHING STYLES IN ENGINEERING EDUCATION】
(エンジニアリング教育における学習及び指導スタイル)と題した、ノースカロライナ州立大学のRichard M Felder教授の論文
そこから明らかになったJames Stice教授の具体的な数値は、
- What they read:10%
- What they hear:26%
- What they see:30%
- What they see and hear:50%
- What they say:70%
- What they say as they do something:90%
というものであり、先ほどの偽Daleの円錐ケース1と非常に類似していますが、「hear」の20%が26%となっている点が少し違いますし、こちらの方は「write」の要素が入っていません。
僕の感覚では「say」は「say and write」の方がジャストフィットするのですが・・・。
ともかくも、「Dale’s Cone of Experience」として、一般的な学習指導項目に変容した数値入りの円錐は、実はJames Stice教授の論文が根拠がありるのではないかと思われました。
ただ、偽Daleの円錐では、何故26%ではなく20%になっているのかなど謎も残り、他に根拠ある元データが存在するのかもしれないという可能性も残ります。
正確には、引用されている論文や文献やこのデータの発表時期を時系列で追わなければ判明しませんが、それが僕の本意ではありませんし、伝えたいことに影響するわけではありませんので、どなたか真実をご存知の方が居られましたら、教えを請うに止めたいと思います
やっと、ここから、根拠となるJames Stice教授の論文について考えていきたいと思います。
上記の項目と数値を見ますと、「write」という要素が抜けている以外では、僕の経験則にもかなりの合致を見るものという印象がします。
そういった意味では、Daleの円錐の最底辺「Direct Purposeful Experience」の置換にあたるバリエーションである「実際に経験する」・「すぐに使ってみる」・「他者に教える」といった形式の学習が、最も身に付くという捉え方は大いに有益なヒントを与えてくれるものと考えています。
学習する当事者の私たちには、些細な数値の相違は大して問題ではなく、どのような学習スタイルを採ることで、最も効果的に身に付けることができるのかということが関心事なわけですね。
そういう意味で、学習方略・学習スタイルを考える上では、James Stice教授の学習形式の階層は、その効果の根拠を雄弁に語っているものですし、それは、Daleにおいて底部を形成するける3つの「Experience」と対応付けることによって、より確信的な根拠となり得ると捉えておきたいと思います。
僕が【帝都大学へのビジョン】で書いている「学び」の軸の一つも、「hear」と「read」の整序が逆であることを除いては、まさにJames Stice教授の項目を、より「受験」に特化して具体的に示したものに他なりません。
初心者だから、先ずは暗記だとか、先ずは理解だとかという紋切り型の順序ステップではなく、暗記にしろ理解にしろ、その課題に対して「経験する」という要素を盛り込んだ学習スタイルを如何に取り入れるかを模索するという方向性が見えてきますね。
では、「経験する」学習とはどういうことなのか?
Stice論文では、”What they say as they do something”となっていますから、例えば英会話ではネイティブと実際に会話するということだけを想起しがちになります。
しかし、そうなると、赤子のような状態では現実的には不可能ということになってしまいますね。
会話が続かなければ、「経験学習」などには遠く及ばない無の状況になってしまいますから・・・。
では、「経験する」という学習形式は、それなりのレベルに達するまでは出来ないということでしょうか?
現実的には、ほとんどの人がそのレベルに達するまでに挫折してしまいますから、一定のレベルに達した者だけが手にすることが出来る特権的な学習方法ということになるでしょうか?
その答えは、Daleの円錐の原典にある、「Dramatized Experience」「Contrived Experience」にあります。
ネイティブ相手に会話することだけが「経験」としての資格を与えられるのなら、単純に「疑似体験」で手を打てばよいことですね。
ただ、僕は「経験する」というよりも、「出力する」という言葉の意識化が重要だと考えています。
「疑似体験」とは仮想の対象(自身も含めて)に対して「出力する」ということと考えているわけです。
僕の経験則からであれば、「Cone of Output」としたいところなんですね。
目的や自身の現状レベルに応じて、その中で、「受験勉強としての出力するとは?」・「コミュニケーション英会話のスピーキング上達のための出力するとは?」など、目的・現状スキルごとに相応しい「出力する」学習を考え、採り入れていくことが必要だということですね。
各レベルに応じて、これらの学習形式の階層を出力レベルを目標として学習することはできるはずです。
それが、レベルに応じた達成度を高くしてくれると考えています。
まさに”あいぼう様”は、このスタイルを多面的に実践されているということでしょう。
そして何より、学習者の主たる学習は自学学習なのですから、間違いを犯したからといって恥をかくこともありません。
「出力とは何か?」を熟慮し、「出力することを意識した」学習を継続的に行うことが大きな効果に繋がるということを見据えていただければ幸いです。
最後に、Richard M Felder教授の論文で引用されていたOxfordの下記の文章をご紹介しておきます。
「・・・だけ」ではダメだということですね。
この辺りを、次回はBloomの6つの認知領域のお話で展開していきたいと思います。
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What must be done to achieve effective foreign language learning is to balance
instructional methods, somehow structuring the class so that all learning styles
are simultaneously – or at least sequentially – accommodated(Oxford 1990).
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