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「ミネルヴァの梟(ふくろう)は黄昏時に飛び立つ」という言葉は、ドイツ観念論の偉大な哲学者ヘーゲルの「法の哲学」の序文にある言葉です。
「ミネルヴァ」はローマ神話に語られる女神なんですが、元々はギリシャ神話のアテナと対応した女神と言われています。
「アテナ」(ローマ神話では、ミネルヴァ)がパルテノン神殿で飼っていたフクロウは、アテネの日々の情報を掻き集めるために夕暮れに放たれたと言います。
即ち、梟は「アテナ」の情報源であり智恵袋だったということです。
ですから、「ミネルヴァ」は智恵の女神、智恵の象徴として、現代でも世界の数多くの大学の紋章やマークや像などとして使われているんですね。
ヘーゲルは、この神話を隠喩として自らの哲学を表現したのです。
簡単に言えば、「哲学はいつも現実を後追いしている」ということなんです。
正→反→合という時系列から、まず事実があって、その後に観念としての哲学が築かれるというわけです。
まさに、正反合一の弁証法的論理学を主張したヘーゲルならではの隠喩です。
【buy恩人】は、これと非常に似通った意味で、「ミネルヴァの梟」は『自然科学』にも当てはまることではないかと考えています。
いや、世の中の全ての営みは、「ミネルヴァの梟」があてはまるのではないかと思うのです。
生きていく上での困りごとは、科学の成果など待っていられません。
ましてや、科学の未発達な時代においてはより一層そうだったでっしょう。
そして、経験からの知恵を集積することで、これに対処してきました。
そして今、先人の経験と智恵は科学によって、そのエビデンスが与えられつつあります。
しかし、科学が発達したからと言って、現状の科学だけでは説明尽くせないことの方がはるかに多いのです。
いや、完全に説明し得るときは永遠にやって来ないかもしれません。
さて、難しいことはこれぐらいにして、ともかくも先行する現実に対して、より良い方向を目指して誰もが「ミネルヴァの梟」にならなくてはならないのではないか?
これが【buy恩人】の立ち位置です。
今の時代、今のネット状況を見ると、「ミネルヴァの梟」はもう黄昏時には放たれなくなっているのではないか?
放たれるときが、24時に近づいているのではないか?
いや、もう放たれることすらなくなるのではないか?
強く、そんな気がしているからです。
より多くの人々が「ミネルヴァの梟」に巡り会えば、より良い社会への希望が見えてくるのではないでしょうか?
要は、勢力分布がある閾値を超えてしまうほど歪になると、もう復原不可能になるのではないかと考えるのです。