【buy恩人】ガリレオです。
前回は世界における記憶術の起源と歴史を極めて簡便に流しました。

さて、日本における記憶術の歴史なんていうのは、誰もがそれほど興味がないかもしれませんが、こちらも少しだけ見通しておきましょう。
面白い批評書を題材にしましたので、楽しみながら自分なりの「記憶術観」を考えられてみてください。

明治の初期から記憶術に関する書物は出版されており、記憶術ブームが巻き起こったと思われる明治時代中期、特に明治27年以降から記憶術に関する著作が非常に多くなっています。
そこで、遡ればキリがないこともあり、相互の批評も面白く展開される27年以降だけに絞ってみました。

■記憶術・忘却術に関する主な著作(明治27年以降)

  1. 仏教哲学者井上圓了の『記臆術講義』:1894年(明治27年2月記)
  2. ジャーナリスト宮武外骨の『つむじまがり』内に収められた『心理学応用の忘却法』
    :1894年(明治27年3月記)
  3. 枯木仙士の『新奇忘却法 記臆反面』:1894年(明治27年7月記)
  4. 仏教哲学者井上圓了の『失念術講義』:1895年(明治28年7月記)
  5. 和田守菊次郎の『和田守記憶術』:1895年(明治28年8月)
  6. 島田伊兵衛の『島田記臆術』:1895年(明治28年10月)
  7. 和田守菊次郎の『民法正条 和田守記憶法応用』:1896年(明治29年5月)
  8. 生田長江の『英語独習法』内に収められた『外国語の勉強と記憶法』:1910年(明治43年8月記)
  9. 国民教育会の『記憶と勉学の指導講義 記憶の誘導促進法』:1933年(昭和8年8月)

この辺りが、欧米の記憶術が流入した後の波紋として、日本の記憶術の源流となるところでしょう。
(これらは、ほとんどが近代デジタルライブラリーで閲覧可能です。)

さて、『記憶術』と対等に『忘却術』『失念術』がペアとして大いに論じられていたことは注目すべきですね。
ただ、これらは『記憶術』が知識面の記憶について論じられているのに対し、『忘却術』『失念術』では感情面の忘却について論じられていますので、概念的に正確な表裏関係に対応するわけではありません。

いずれもが、記憶の重要性と等しく忘却の重要性が論じられるのですが、記憶容量の有限性というノードから算術的に展開される理論の意味は理解できこそすれ、読者にとっては問題が異質であるため、【a+ア = const】が正しかったとしても、知識記憶方法の対極としての知識忘却方法という期待感があったとすれば拍子抜けしてしまうことは否めません。

知識の定着方法を求める層と精神的迷妄から解放される方法を求める層は全く相違するのですから・・・。

■明治記憶術ブームとそのアンチテーゼたち

ともかくも、明治中期における記憶力ブームへのアンチテーゼの口火を切ったのではないかと考えられる井上圓了や宮武外骨の書物を始点として記憶術の源流へと遡りましょう。

後ほどご紹介する井上圓了の『記臆術講義』には、「近来記憶術を教授するもの諸方に出て広告に著述に盛んにその功能を説きて・・・」と記されていますし、それ以前に記憶術の著述もたくさん出始めていることからも、相当な記憶術ブームがあったことは明白に見て取れます。

ネット時代に突入した現在、「記憶術」なるキーワードでの検索が非常に多い状況から汲み取れる日本の記憶術志向ぶりは、さながら、明治時代中期の記憶術ブームの再来にも思えてきます。

そんな状況の中、ある意味、松平先生と【buy恩人】は、この現代日本において、井上圓了や宮武外骨、あるいは生田長江の役割を果たそうとしていると言えるのかもしれません。
そんな風にイメージを抱いて読み進めていただければ、より分りやすいかと思います。

●宮武外骨のつむじまがり

宮武外骨は、大正6年に編纂された「つむじまがり」のタイトル通りに、当時としては奇人・変人と見なされ、自らが自らを危険人物と自称していたジャーナリストです。

外骨という名前からも奇人・変人ぶりが想像されるわけですが、その名の由来も冒頭から説明されており、今の私たちからすれば、おかしいと感じたことにおかしいとマジメに反応していただけのように見えます。
ただ、如何せん、レトリックなど不要と言わんばかりの言説が心象を悪くしていたことも確かでしょう。

これから勉強せんとする若い諸君は、本ページを真剣に読まれたならば、「宮武外骨」なる名前は久しくその名前を記憶に留めることでしょう。
ここにも、「記憶」というものが持する大きな特質が見え隠れしますね。

※但し、一般的な意味での「ガイコツ」を「外骨」などと安易に記憶することがないようにしてください。

念のため、一般的な用語としての「ガイコツ」は漢字では「骸骨」だということをお忘れなきよう。
目だけで勉強していると、あるいは、アゴだけで勉強していると、漢字の試験で万が一、「ガイコツ」と出題された時に「外骨」と書いてしまう可能性が大いに高まるということです。

さて、「つむじまがり」は、今で言えば、ある意味「逆さメガネ」と同じく、社会に対する警告書の性格のものですが、売れるようにライターが書き起こしたにしても養老孟司先生の考えを奇人・変人扱いする人も居ないのは、単に時代背景だけにあるだけではなく、直情的な思いを直球の表現にして投じてしまう宮武外骨の気質との差による要因もあるでしょう。

明治27年3月に記された本書収録の『心理学応用の忘却法』は大正6年に編纂されるにあたって、冒頭に次のような文章が追加されています。

    此忘却法は去る明治27年の頃、内田某、和田守某などといへる山師学者が、新記憶術を発明せしとて高価の伝授量を貪るにも拘わらず、世俗に歓迎喧伝されて居たのが癪に触り、マジメに心理学上の法則を記述したのである。

    其後此忘却法に模倣して井上圓了は『失念術講義』を著はし、杉山某は『新奇忘却法』といへるを著はして公刊した。

宮武外骨に言わせれば、井上圓了の『失念術講義』も自分の『忘却法』を真似したと言い切っています。
また、詳しく調べるには至っていませんが、杉山某とは、枯木仙士の本名なのでしょうか?

いずれにしても、新記憶術が癪に障っての『心理学応用の忘却法』であれば、少し土俵がずれていることは否めません。

●和田守記憶術フィーバー

さて、順番は前後するのですが、後に宮武外骨に山師学者と一刀両断された新記憶術の和田守菊次郎は、どうもタレント的・エンタメ的な面で一世を風靡したようです。
当時、結構多くの著作で批評されたり引用されていることからも、かなり注目を浴びた様子は伺えます。

帝国ホテルで記憶術の実演会を開き、100人の参加者に単語を読み上げさせ、それらを全て記憶したことを実演で示したのもこの御仁のようです。
確かに見世物としてはインパクトのある最高のサプライズだったことでしょう。

今となっては真実は知りようもありませんが、本当に記憶術をそこまで身につけたのかもしれませんし、何かトリックが仕掛けられたという可能性も捨て切れないのは、いつの世も同じという気はします。
まぁ、その時としばらくの間だけの記憶だったのなら、単なる見世物芸人でしかなかったということですね。

その『和田守記憶術』は井上圓了の『失念術講義』よりも遅れて著されていますので、それほど早い時期に著されたわけではありませんから、ブームに便乗した感も否めません。

この著書自体はネットではまだ見ることが出来ないのですが、他の書物で盛んに評価されていますから、その概略を知ることはできます。

例えば、昭和8年の国民教育会の読本では、最も組織だった進歩した機械的記憶法として「和田守式数学的記憶法」と紹介されていますので、ここに記載されている範囲で『和田守記憶術』の概略をご紹介しておきましょう。

これを見た際には、以前、「学校の先生から『ジニアス記憶術』の話を聞いて息子が欲しがる。市販の書籍と変わらぬ印象に見えるが如何なものか?」という相談を受けたことが思い出されてしまいました。

『和田守記憶術』は、この後書き出したように、秘術的な難しさはさらさら見受けられない単純な機械的方法ですが、いずれにしても、秘術的な方法やら機械的な方法を勧める教育者や教育団体があるということ自体、とても不思議な感覚を覚えずにはいられません。

●和田守記憶術の方法

  1. 結合法
  2. 2個から4個を限度とする語句を(出来ればイメージ的に)結合させて一つの意義ある観念を作る。

    [例]猫&本・・・猫が本を咥えて走る

  3. 付加法
  4. 数個の語句・同一語音語句・類似語音語句を付加して一つの意義ある観念を作る。

    [例]西&机・・・西郷が使用した机 / 2236・・・富士山麓

  5. 削減法
  6. 語句の数を減らして記憶しやすくする。所謂、略語化。

    [例]一つ二つ三つ・・・ヒーフーミー / 松方大隈連合内閣・・・松隈内閣

  7. 分割法
  8. 語句を分解→当て字→語句付加→結合させて一つの意義ある観念を作る。

    [例]フロリダ・・・浮浪+利+田→浮浪人に利多き田がフロリダにある

  9. 基礎法
  10. 明確に記憶している事物語句を基礎として、覚えるべき事物語句を配合・結合する。

    [例]富士山の高さは?・・・富士山は日本で一番に仙人的な山→1万2千尺

  11. 連環法
  12. 結合法で作った観念をしりとり的に繋げて、覚えるべき語句を想起しやすくする。

    [例]鏡・湖・雀・字書・五重塔・米国人・仏書・筆・・・[第1結合]鏡のように澄んだ湖の上を雀が飛んで来て字書の上に糞を落とした+[第2結合]字書を手にして五重塔のまわりを米国人が逍遥していた+[第3結合]米国人は仏書を見ながら筆を運ばして描写した。

  13. 作話法
  14. 記憶すべき語句を一貫した主題の下に、一つのストーリーに作成する。

    [例]オータム・・・秋は一年中の収穫期にあたり、田園の仕事が多いから「多田務=オータム」と言う。

なる、算術の四則演算に対応させた分類(1~4の四則+5~7の三法)で説明されています。

結論から言うと、井上圓了が著した『記臆術講義』に比すと、欧米から輸入されたと思われる場所法の記述すら無く、ちゃちな内容と言わざるを得ないもののようです。
(正確には原書を読まないことには分りませんが・・・)

これらの分類と例を見られて、「しょうむな~!」(関西弁で”くだらない”の意)と思われる方も多かろうと思いますが、この時代でも同じように「しょうむな~!」と思っていた人は結構多かったことが、当時の書物の中には多々散見するところからも分ります。

その一人に、評論家であり英語教師でもあった生田長江が居ます。
長江の『英語独習法』には、その「しょうむなさ」が具体的に綴られています。

●生田長江の和田守記憶術書評

本書の第14章「外国語の勉強と記憶法」にては、次のような趣旨で書かれています。
(原文通りの意味ですが、僕なりの関西弁レトリックが入っています。悪しからず!)

    和田守氏がその実例として揚げたものを見れば、えらいバカバカしいものに見えますねん。

    例えば、「吾妻橋上晩風涼」の一句を記憶するのに、次の七句を作らんといかんとか・・!

    1. 黨の人物なり
    2. 子離散せり
    3. 下を通る小舟あり
    4. 等の待合所
    5. 景に散歩す
    6. は空氣の流動なり
    7. を追うて墨堤に到る

    隨分バカバカしいことでんなぁ!
    これだけの長文句を覚えるぐらいなら、本文をそのまま覚えた方がメチャ楽やんかー!

    その上に、例えば、「伊藤博文、大山巖、渡邊國武、陸奧宗光」の名前を記憶するために、次のような文章を作れと言うんですわ。

    「井(伊藤)の水を汲み、白粉(博文)を溶して裝飾したる婦人庭外の小山(大山)に在る奇妙なる巖を眺め居る處へ其傍の渡の邊から國府の卷烟草を吸ひつゝムツ(陸奧)を持參して和歌の草稿(宗光)の添削を乞ひに來りし者あり。」

    ご苦労なことでんな~。
    これだけの文章を作る十分の一、百分の一の骨折りで、四~五人の名前ぐらい、すぐに覚えられまんがな。

    よしんば、他人にこの暗記用文章を作って貰ったとしても、「こんな長い文章を覚えるのと四人の名前をそのまま覚えるのとどちらが簡単でっか~?」ということですわなぁ。

    和田守氏が、外国語の記憶術として述べたものは、更にバカバカしい限りでっせ!
    英語の一・二・三を覺えるのに、【1) one→椀 2) two→通 3) three→掏摸 4) four→布織ル 5) five→婦愛部 6) six→疾苦ス 7) seven→制文 8) eight エー戸】などと記憶せよとほざきよる!

    こんなものを記憶術なんぞと言うのならば、わざわざ紹介する必要がどこにありまんねん?
    こんな程度のものは、日本でも古来・従来から行われてまんがな。

    「蘭」の一字を覚えるために、「艸(ソウ;くさかんむりの意味)やあだちが門にモン立ててトウや東や蘭やアララギ」なんて歌がおますし、他にも、 京都の名物やら大阪・東京の名物などは歌に読み込んで覚えたもんですわ。

    例えば、京なら、「水壬生菜女染め物針扇お寺豆腐に鰻松茸(みずみぶなおんなそめものはりおうぎおてらとうふにうなぎまつたけ)」のようにですわ。

    要するに「記憶術」なぞと言うと、なにか不思議な魔法でも教へるのかと思いきや、実際は実に下らないものでしたわ。

    記憶術も、うまく応用すれば利益があるに違いないとか、都合よくいったときは便利に違いないというのは分るけんどよ、そんなもん、うまく応用するということが難しいし、そんな都合よういかへん場合がほとんどでんがな。

    たいていは記憶すべき事柄を一層複雜にして、一層混乱を増やすのがオチでっせー。

    あるアメリカ人が日本へ来た際に、「おはよう(ohayou)」という日本語を記憶するために、米国の一州たるオハイオ(Ohio)に結びつけて、天晴れ記憶術を応用したんやそうな。

    そんなつもりでいたたところが、ある日、日本人のおらっしゃる所へ行って、何と申したもんでしょう?
    なんと、オハイオ州の隣にある「ケンタッキー」と言ったそうですがな。
    そりゃぁ、九年母(クネンボ;柑橘類)のことを八年母と言ったより以上の騷ぎだったそうですなぁ。

    ハーバード大学の心理学者ウィリアム・ジェームス先生も、「人為的なる記憶術は、畢竟効なくして却つて害多し」と仰っとります。
    「害多し」ちゅうのは、心理上からも精神上からも発育を妨げるという意味からなんですなぁ。

    とは言うても、所謂「記憶術」のような不自然なる記憶法は別として、自然なる記憶法もあることは、改めて説明するまでもおませんわなぁ。

●井上圓了の『記臆術講義』

一方、宮武外骨によって『失念術講義』に関しては「模倣」という烙印を押されてしまった井上圓了ではありますが、そもそも完全なるオリジナリティなどは誰にも創作不可能と考えますし、『記臆術講義』は外骨より先んじているという事実もありますから、是非一読されてみてください。

旧字体ですので少々読みづらいかもしれませんが、実に正鵠を射たことが書かれています。
記憶術に関して、学者の立場として賢慮をもって記された書と言えるでしょう。

【第1段;緒論】には次のように書かれています。

    此方法(圓了の分類で、応用的即ち人為的記憶法>方術的記憶法)は多少人の習練を要するものにして、其尤も錯雑なる者に至りては生来記憶力に富みたる人にあらざれば之を行ふこと能はざるほどなり。

    されば此の如きものに至りては、記憶術を学びて得たる結果も、学ばずして自然に得られるべき所の結果も殆ど差異なかるべし。

    人若し記憶術の練習の為に一年若しくは数年を費すならんには寧ろ、其年月を平素の修学に用ひなば、却りて上達すること多からん。

    蓋し毎日書物を反復読誦するは是れ即ち一種の記憶術にして、知らず識らずの間に記憶力を養成することを得べきなり。

【buy恩人】としても、最も伝えておきたい事は、まさにこの部分と一致します。
多少、重複しますが、【第7段;結論】をも要約しておくと次のようになります。

    生来記憶力が乏しく知力が乏しい者も、記憶法を練習すれば神童や智者になれるというのは迷信に他ならず、如何なる方法も決してこの目的を満足はさせないよ。

    秘術のような記憶術で大智者や大学者になろうと思うことは、卜筮(ボクゼイ)や人相の術に依頼して巨万の富みを得ようと望むことと同じだよ。

    よしや、方術的記憶法によって大いに記憶力を増進させた人が居るのならば、その人は、生来学習能力に長けた人であり、わざわざ記憶法の習熟に時間を割かなくとも、普通に読書・学問をすれば普通に記憶力も増進する人なんだよ。

    逆に、生来能力に乏しい人は、いくら記憶法を練習しても脳力全体を発達させるのは難しいよ。

    だから、記憶術のようなものは、注意するべき程度に留め、決して学科として練習したり修行するようなものじゃないんだよ。

    こう言ってしまえば身も蓋もないから言うけれど、もし記憶力を高めたいなら、普通に学校で指定されている体育・知育によって脳力全体を発達させるしかないんだよ。


松平先生によれば、日本における記憶術はアメリカ経由で流入したとのことでした。
この流れを見ると、欧米より輸入した記憶術に乗じて様々な記憶術の伝授書が出回り、これに物申す的な書物が多く拾われることからも、確かに明治時代中期には記憶術ブームが起こったことが見て取れます。

中でも、上でご紹介した井上圓了の『記臆術講義』は、現在において最もメジャーな記憶術である「ワタナベ式記憶術」の源流となっているようです。

現在氾濫する記憶術へいただいたコメントでも、「ワタナベ式でいいじゃん」という意見が散見されます。
【buy恩人】としても、全ての記憶術を見ているわけではないので断定は出来ないのですが、確かに「ワタナベ式」を反ってより煩雑にするレベルのもの、あるいは、ヨーロッパのアルス・コンビナトリアのように、私たち凡人では容易に到達できないようなレベルにしか感じることはできないものがほとんどです。

最後に、『記臆術講義』で所謂記憶術に類する【応用的即ち人為的記憶法】の分類分けだけご紹介しておきましょう。
要約は自分で読んで整理されることが、まさに「記憶法」そのものであることを体得していただくためにも割愛させていただきます。

  • 第5段:学理的記憶法(簡便的記憶法)
    1. 連帯法
    2. 仮物法
    3. 略記法
    4. 統計法
    5. 句調法
    6. 分解法
  • 第6段:応用的記憶法(方術的記憶法)
    1. 接続法
    2. 心像法
    3. 配合法
    4. 代数法
    5. 代字法
    6. 筆記法

学理的記憶法は、使うと便利な場合には普段からよく使っている方法です。
先ほど列挙した和田守式記憶術の方法はこの部分に対応していますし、現代においても、参考書を見れば「覚え方」などとしてある程度書かれているものです。

ですから、学理的記憶法は知っていても損はないですし、むしろ便利なケースがチョコチョコあることは事実ですけれども、何でもかんでも当て嵌めようとすると、実に「しょうむない」ことをしていることになります。

次に、応用的記憶法として挙げられた方法が、所謂「記憶術」と呼ばれる部分で、ここで場所法などが日本流にモディファイされて紹介されています。

井上圓了流に結論を出せば、決して学科として練習したり修行することなく、注意するべき程度に留めることで充分なんですね。
それこそが、【buy恩人】の2012年テーマ「正気に戻ろうよ!」の真意でもあります。

記憶術をもってして、何やら人に社会に有益な仕事を成した人が少しでも輩出されて来たのならば、【buy恩人】も認識を原点に戻し、再考するつもりもありますが、所詮、見世物程度でしかお目にかからないのです。

そういった意味で、実際の方法論だけを知りたいとしても、真っ当な著書を1,2冊も読めば充分なものと【buy恩人】も考えるわけです。
まずは、井上圓了の『記臆術講義』をざっとでも目を通されては如何でしょうか?
古代ギリシャも明治時代も現代も、人の脳が働く様は同じですから・・・。

以上、明治時代の「記憶術」のごく一部を簡単に眺めてきました。
もう少し追補したいことが出てくるかもしれませんので、以降の部分の整理と併せ、別ページにまとめて行く予定をしております。


現在における私たちが目にする「記憶術」もびっくりするほどあるのですが、主なところを挙げておきましょう。

アンケート良好率では、松平勝男さんの「ユダヤ式記憶術」を除いては、すなわち松平さんが言われるところの「瞬間記憶術」の類は非常に低い数値になっています。

すなわち、「瞬間記憶術」との相違は販売ページで分かりますから、「瞬間記憶術」が好きな人は「ユダヤ式記憶術」を買わないことも要因としてはあるでしょうが・・・。

[場所法系]

  • 椋木式記憶術・・・椋木 修三氏
  • 渡辺式記憶術・・・渡辺 剛彰氏
  • 藤本式記憶術・・・藤本 憲幸氏
  • 宮口式記憶術・・・宮口 公寿氏→宮口式記憶術アンケートページ

[写真記憶系]

  • ゴルゴ流イメージ記憶術・・・ゴルゴ氏

[速読系]

[速読-フォトリーディング系]

  • クリエイト速読スクール・・・松田 真澄氏

[未分類]